この数世紀、「寛容さ」という価値はひどく値を下げているが、なかでも頭が弱い人々に対する不寛容にはすさまじいものがある。
y11月 7th, 2009 at 1:59 PM
7日のTBSの朝の番組で、新しく中医協になった嘉山孝正委員(山形大学医学部長)を取り上げて、
山形大学病院は、救急患者は断らないので「たらい回し」は山形県ではほとんど無く、周産期センターは無くとも妊婦の救急の「たらい回し」は無くなった・そのために救急患者数が増加し単年度の病院赤字は0となった・院内のコンビニの売り上げが県内一となり・その利益で院内保育が24時間可能となり・従業員は安心して子供をあずけ・女医や看護師の離職が少なくなり・医師も短時間労働制度でかつ常勤扱いであるので過重労働はなく、全てハッピーである。
また、民主党議員が、この医師とは以前からお付き合いがあり、よって、中医協の委員に選んだといっていた。
この論からいくと、今の診療報酬制度でも、病院運営が上手いと赤字にはならず・医師の過重労働も無く・看護師の定着率もよく・救急患者の「たらい回し」は起こりえないとの報道かと見えた。よって、医師・看護師の定着率の悪い・赤字の・救急患者を断る病院は、経営が悪いからでしょう。という内容だったのかとの感想です。
よって、道立病院の赤字は、すべて、経営が不味いからです。
今の医療報酬制度でも、赤字病院は、経営が不味いからとの結論でしょう。
音楽を皮切りとして、物理媒体を持たないことに、私たちは慣れつつあるのではないだろうか
とかいうのをこのついったーを見てふと感じた。ざっくり引用。
午後はたんすやら本棚やら、大きめの家具を入れ替えて子どもの寝る部屋に余裕を持たせた。本棚を動かして分かったが、もう二度と読まないであろう書籍をけっこうため込んでいる。昔ほど本という物体に執着がなくなってきているので、今なら思い切って処分できそうだ。
この感覚はなんとなーく分かるような気がする。書籍については、ざくざく整理することが増えた。
これは、持つ価値のないフロー的な資料が増えたから、という解釈も可能だが(現にそういう本もあるが)、一応それも補助線としつつ、やはり本丸はデジタルデータの状態で何かを持つことに随分と慣れてきたからじゃないだろうか。手に取れないとなんとなく実感がない、不安というところから、モノは試し感覚と新しいもの好きとファッションとか、友達に薦められてなんとなくとかきっかけや理由は千差万別としても、「あ、これはこれで大丈夫なんだ、別に困ることもそうあるわけじゃないし」という安心感と信頼感が出てきてるって流れ。
トリガーというか、経験を広めてるのはもちろん、音楽であり、中心にいるのはiTuneとiPodであり。
とはいえ、ここからいきなりアップルすげぇというトークに持っていくつもりはない。それはそれ、これはこれ。
All these moves are best understood in the context of China’s recent troubles in Tibet, with Beijing increasingly concerned that any acceptance of the 1914 border will amount to an implicit acknowledgment that Tibet was once independent of China —- a serious blow to the legitimacy of China’s control over the region and potentially other minority areas as well.これらの動向はチベットを巡る近年の中国の文脈に置くともっとも理解しやすい。中国政府がこの問題に関心を高めるのは、1914年の国境を受け入れることは、チベットが一度は中国から独立していたことを認めることなることになるからだ。この認可は、その他の小地域が潜在的にもっている問題と同様に、同地域支配の正当性に大きな打撃を与えることになる。
重要なのは、中印間のどこに国境線を引くかということではなく、1914年の暫定国境を認めることが、中国がチベットを支配する論拠を失うことに通じるという指摘だ。さすがにこの部分をごっそり訳抜けさせた日本版ニューズウィークには政治的な意図があると見てよいだろう。
トヨタの問題点はいつも同じです。地獄のF1富士の時に感じたことと一緒です。
・事実を覆い隠そうとする
・メディアでの報道を少なくする(広告代理店、メディアが自主的に行っているきらいもあり)
・ユーザーのせいにする
・ウソをいう
以前読んだ「トヨタの闇」ではトヨタのリコール数がホンダよりも少ないことに着目。さらにホンダのリコール対応割合が高いのに、トヨタは半数程度しかないことを明らかにしました。コストにダイレクトに跳ね返るリコールを、一部隠していたり、周知徹底を(わざと)しないことでコストをセーブしている傾向がみてとれます。
しかし当時、最高の遣い手の一人であり、武士階級として知的レベルもそれなりに高かったであろう柳生但馬守ですら、武術の言語化は純粋な日本語だけでは実現できず、舶来言語体系である禅の用語を必要としました。
だからこそ、「禅や儒教の言葉も借りず、古い軍記物の表現も使わず」、きわめて平易な、しかし不完全な当時の日本語を用い、しかも400年後に生きるわれわれのような後代の武術・武道人でも理解し納得できる武術の理合の言語化を実現した、宮本武蔵という人物の天才は、柳生を越えているのです。
「顔面突きで、相手をビビらせて居着かせろ」とか、「フェイントかけて斬れ」とか、「まず一拍子で強く打ち、そのまま粘る感覚で切っ先下がりに打てば、相手の太刀を打ち落とせる」などなど、『五輪書』の記述は、今読んでも超具体的かつ現実的です。体当たりのコツまで、丁寧に分かりやすく解説しているくらいなのですから。
さらにすごいのは、言葉で説明すると誤解の多い点、言語化が適切でない部分について、「この技については、ちょっと言葉では説明できないので、実地の稽古で体験してくださいネ!」とまで書いてあるわけです。
言葉にできることと、できないことを、きちんとわきまえている!
400年前に、ここまで読者の便宜を考えて執筆しているのですから、もうこれは超絶的な現代感覚です。
AK-47にはガタが多い
世界の兵士に愛用されるAK-47 というライフルがあって、AKは、部品どうしのはめ合わせは遊びだらけで、部品はどれも、けっこう重たい。
見た目の精度感みたいなものとは無縁なんだけれど、AKはその代わり、ガタが多いからホコリに強くて、どんな状況でも、少ない手入れでよく動く。部品が重たいから、銃弾を動かす力もそれだけ強力で、弾が少々凹んだぐらいなら、AK-47は、弾詰まりを起こすこともなく動作する。
AK-47の「ガタ」とか「重たい部品」は、それを設計したカラシニコフに言わせれば、最初からそういうように作ってあるものなんだという。これをたとえば、より精密に「改良」したところで、改良されたその製品は、たぶんオリジナルより悪くなる。そこにどうしてガタがあったのかを考えないで、「前より厳密」を、無批判に「いいことだ」なんて努力する人たちには、AK-47 は一生かかったって作れない。
厳密を、単純に「いいこと」なんて断じると、AK-47はたぶん、砂粒一つ噛みこむだけでで動作を止める。「厳密に改良された」ライフルで戦って、兵士がみんな、動作不良で殺されたところで、努力の好きな人たちは、「やるべきことはやった。しかたがなかったのだ」なんて、満足そうに敗北をふり返る。自分たちのせいなのに。
うまく回ってた何かに「無駄」を見つけ出して、それを「改良」したとのたまって、むちゃくちゃになった現場からは目をそむけつつ、勝利宣言して尻まくる人たちって、幸せそうだなといつも思う。



